皮相な行政感

「その通り、幹部公務員の懲戒は国民の希望である」−人事院総裁に応える。 : アゴラ - ライブドアブログ


まず、上記エントリに北村氏の見解については、ある程度の妥当性があると考える。ただし、人事院勧告より政府との事実上の労使交渉による妥結を優先させることが公務員制度改革に伴う労働基本権(交渉権)の付与の布石となっている点にはもっと注意しなければならないし、またそれが国鉄で見られたようなサービスの悪化と赤字体質という問題の原因となりうることに触れないのは一連の問題の重要な側面を見落とすことになると思われれる。
とはいえ、財政状況や国民経済の状況を見れば一定程度の公務員の給与削減はやむを得ない。しかしながら、上級の公務員が一流の大企業と同じようなレベルの人材を求める必要がある以上、平均より優遇されることは十分に考えられるだろう。同時に、北村氏の主張するところの能力に応じた待遇というのは、その方法論について十分な検討を要すると考えられる。


さて、問題はコメント欄である、ここのコメント欄の山口巌氏のコメントはあまりに実態に即していない。

良記事。公務員には是非一度大々的にストライキをやって欲しい。そうすれば居なくてもちっとも困らない事国民が実感として体験出来る。但し、警察、消防、医療関係それから当然自衛隊はダメ。スト解禁に先立ち住民票や印鑑証明の発行の如き(これ以外にもテンコ盛りであるだろう雑多な手続き)はコンビニに業務を移管すべき。彼らは来店して欲しいので多分タダ同然の料金で素早くやってくれる筈。そもそも、公務員の年収原資は国民の血税。詰りは国民が雇用者で公務員は被雇用者。雇用者が昼飯を吉野家の牛丼で我慢しているご時世に昨日はイタリアン、今日はフレンチとか言っている能天気が既に脱線、次に、民間の現役世代は労働市場の一元化(グローバリゼーション)と直面し年収は中国や中国に雁行する新興産業国の年収に鞘寄せざるを得ない。一方公務員は記事にある通り年収の下方硬直性に守られている。これは一国二制度であり是正せざるを得ない。ギリシャの二の舞に成らぬ為の喫緊課題は公務員改革を基軸とする行政改革を急ぐ事。

具体的に考えてみよう。例えば補助金行政であれば公金を支出するのだからそれなりの判断が必要である。その他にも私有財産に何かしらの制限を加えたり許認可をしたりと、コンビニのバイトに任せることが望ましいのか疑問に残る業務は多い。億単位の金が動く開発行為の許認可を時給800円のバイトのニーチャンに任せても良いというなら止めはしないが、あまりにも乱暴な議論であることはすぐにわかる。
また、仮に彼らが住民のニーズに応えて素早い手続きを実現したとしても問題があるだろう。開発にせよ道路にせよ河川にせよ、これらは様々な、あちらが立てばこちらが立たず、ということが多い。黒沢明の映画「生きる」では、主人公は住民の要望を受けて河川を暗渠化し公園を建設した。しかし、暗渠化するということは河川の流量に影響を与える。河川の流量が減れば、流入河川からの水門が閉められ上流域で氾濫が起きることもある*1。あるいは、ある道路をある道路へ接続する場合、利便性の向上は交通量の増大となり沿線住民にとっては静かな生活が脅かされるということにもなる。現在関東で大きな問題になっている放射線及び放射性物質の堆積についても同様であり、多額の費用がかかる除染を安易に行えば財政赤字へとつながる。いわゆるNIMBY施設についても同様で、小金井市において市長が選挙戦においてごみ処理費用が無駄であると言ったことから周辺市の受け入れが停止し大問題となっている。この問題の解決のためにごみ処理施設を整備するか、あるいは周辺市に受け入れをお願いするか、手段は様々にあるだろうが、少なくとも市長一人ではできないし、当然にコンビニで処理することもできないだろう。
証明書発行業務についても、公的な証明書の効力を考えれば安易な移管は避けたい部分もある(移管できる部分はもちろんあるが)。住民票や印鑑証明が金銭の貸借や財産の購入、口座の開設等でいろいろと必要になることが多く、であれば悪用の危険性は少し想像力があれば理解できるだろう。


さて、さまざまな行政の課題を書いたが、何も行政改革が不要であると言いたいわけではない。しかし、行政改革においてはICT化によるコスト削減と事業の見直しこそ必要であると言える。現在の紙ベースを基礎にした文書処理はICTに適合させ*2ることにより業務を効率化できる余地がある。また、開発行政や道路行政、河川行政に警察行政、消防行政、防災等々、GISを用いて効率的効果的な判断ができるようにもなるだろう。
税や福祉についても屋上屋をかけるような、あるいは熱海の旅館と呼ばれるような建て増しを重ねた制度をシンプルにして、かつ社会保障・税に関わる番号制度を活用し効率化を図ればコストを削減しつつサービスを向上させることが可能になると考えられる。もちろん、社会保障という制度そのものが高齢化に伴う受益者の増大による危機を迎える可能性は否定できないが…
また、事業の見直しは受益者の反発を免れえないが、やはり必要である。しかし、どの事業を改廃するかの判断をして、議会に諮り、住民や受益者の同意を得ていくという作業においては、プロフェッショナルの公務員を必要とするだろう。


公務員改革は必要である。能力の高い人間を登用していくことは重要だし、能力の低い人間に年功序列で高い賃金を与えることも理にかなわない。しかし、安易な能力主義が職場に疑心暗鬼を生み出し、かえって業務を非効率にさせる場合も珍しくない。もし、私がコンサルタントであれば、そういった問題を解決するソリューションを提示し、より効率的な行政サービスのための方向性を示したいものである。

*1:だから下流域の大規模河川は優先的に整備されなければならない。上流域の流量は下流域の流量に制約される

*2:ビットとアトムのはざまで - アンカテを参照せよ

炎上と対処能力について。あるいはpixivはなぜこんなにもアレなのか。

Q:pixivはなぜこんなに炎上対処がアレなのでしょうか
A:リソースがねぇから


おおよそ、炎上が発生するような事態において炎上させられる側の非は一定程度(むしろ「かなり」かもしれない)ある。空虚な価値相対主義を閑却すれば、不祥事や不適切な発言で炎上させられてしまうことは、社会的にやむを得ない部分が否定できない。また、ここで、日本文化やあるいはネット文化を村八分的だとか面白がって叩いていると批判することも出来るだろうが、それを今さらあげつらっても意味は無いし、それの解説は本稿の意図するところではない。
ただ、言えることは、このような事態はyahooやgoogleでは起こりえなかったし、仮に起こったとしても致命傷にはならなかった。しかしながら、pixivには起こりえたし、同時に起こったとすれば致命傷となりうる可能性があったことが言える。
どういうことか? おおよそ、あらゆる活動(それは営利を目的とするものばかりではない)には潜在的に炎上リスクがある。実際、本稿についてもイラストレーターの気持ちを斟酌するつもりはないし、実際そういう記述はしないと私が考えている以上、不謹慎でイラストレーターの気持ちを踏みにじっているという批判をされ炎上する可能性はゼロではない。おおよそ、何かしらの行動をネットで起こせば、それは常に炎上というリスクをはらむことは否定できない。
しかしながら、炎上リスクというのは局限することが出来る。例えば、大企業や官公庁のサイトを見てみよう。製品情報や政策について熱心な記述こそ見つかるかもしれないが、炎上の原因となりうるような不穏当、あるいは議論を呼び起こしそうな表現はほとんど見つけられないだろう。もちろん、これらのコンテンツはつまらないが、少なくとも炎上は起こりづらい。それではコンテンツは面白い、あるいは賛否も生まれるようなことをするネットを中心として活動する大企業を見てみよう。確かに、彼らのサイトは刺激的だがあからさまに炎上を招くような記述はほとんどない。
さらに、彼らは万が一の炎上に対して的確ではないにせよ致命傷とはならない程度に対応をする。大企業や官公庁に対するクレームは数限りなくあるが、彼らはそれなりにそれを捌いている。


では、大企業や官公庁が出来ていることをなぜpixivが出来ないのだろうか。大企業や官公庁は非常に鈍重であると言われるし、実際にそういう側面はある。しかしながら、彼らも無為に鈍重に意思決定をしているわけではない。彼らは、コンプライアンスなどの名の下に、意思決定に年収一千万近い人間を何人も介在させ、様々な分野を経験してきた人間を意思決定に参与させている。結果、その意思決定は当たり障りの無い、場合によっては同時に箸にも棒にもかからないものになる。当然にその過程において過去の例との整合性も取るように調整されるだろう。いわゆる「前例主義」というものである。
しかしながら、pixivのような中小企業は意思決定こそ早く、結果的にユーザのニーズに即したサービスが提供できるものの、その意思決定の過程に参与する人間は少数に限られ、ユーザのニーズや、新たなニーズの開拓のために冒険をすることを余儀なくされる。また、少数者による意思決定であれば、気分や状況による原則の不徹底や制度の朝令暮改というのも避けえないだろう。個別的な業務で意思決定時間を短縮するために、そもそも上層部の意思決定を事後的に行うというような事態ですら普通に起こりえる。


つまり、意思決定の過程の違いよって、意思決定の速度や冒険の程度が変わり、それは専らその意思決定を行う主体の制度的枠組みや規模に規定されるのである。鈍重で保守的な意思決定システムは鈍重で保守的であるがゆえに炎上リスクを回避できるのである。
さらに、炎上後の意思決定にも同じことが言える。大企業や官公庁にクレームを入れれば分かるが、通常は通り一遍の謝罪や回答が得られるだろう。複雑なクレームを入れたとしても、誠実な回答はかえってくるかもしれないが、その解答は教科書的でさらにクレームをつけることが難しいものが返ってくるだろう。
なぜ彼らは当たり障りの無いクレーム対応が出来るのだろうか? それは、彼らのクレーム処理の過程における意思決定が鈍重で保守的だからである。彼らは年収一千万近い人間を何人もクレーム処理の意思決定の過程において介在させ、意思決定の根拠や様々なクレームのパターンを精査するのである。
これを中小企業、しかもフットワークの軽さを成功の助けとしたネット企業が可能なのだろうか? まず、困難だろう。結果、彼らの想定しなかったようなクレーム対応や炎上対応は支離滅裂で炎上に燃料を注ぐ結果になるのである。


間違いなく、pixivは今後も今回の件が炎上を続ける限り、ミスを繰り返し暗澹たる状況を生み出すだろう。しかし、それは彼らが愚かなのではなく、彼らの方法論が、あるいは彼らの規模や状況がそれを強いているのである。故に、この問題は起こるべくして起きたものであるのだ。