炎上と対処能力について。あるいはpixivはなぜこんなにもアレなのか。

Q:pixivはなぜこんなに炎上対処がアレなのでしょうか
A:リソースがねぇから


おおよそ、炎上が発生するような事態において炎上させられる側の非は一定程度(むしろ「かなり」かもしれない)ある。空虚な価値相対主義を閑却すれば、不祥事や不適切な発言で炎上させられてしまうことは、社会的にやむを得ない部分が否定できない。また、ここで、日本文化やあるいはネット文化を村八分的だとか面白がって叩いていると批判することも出来るだろうが、それを今さらあげつらっても意味は無いし、それの解説は本稿の意図するところではない。
ただ、言えることは、このような事態はyahooやgoogleでは起こりえなかったし、仮に起こったとしても致命傷にはならなかった。しかしながら、pixivには起こりえたし、同時に起こったとすれば致命傷となりうる可能性があったことが言える。
どういうことか? おおよそ、あらゆる活動(それは営利を目的とするものばかりではない)には潜在的に炎上リスクがある。実際、本稿についてもイラストレーターの気持ちを斟酌するつもりはないし、実際そういう記述はしないと私が考えている以上、不謹慎でイラストレーターの気持ちを踏みにじっているという批判をされ炎上する可能性はゼロではない。おおよそ、何かしらの行動をネットで起こせば、それは常に炎上というリスクをはらむことは否定できない。
しかしながら、炎上リスクというのは局限することが出来る。例えば、大企業や官公庁のサイトを見てみよう。製品情報や政策について熱心な記述こそ見つかるかもしれないが、炎上の原因となりうるような不穏当、あるいは議論を呼び起こしそうな表現はほとんど見つけられないだろう。もちろん、これらのコンテンツはつまらないが、少なくとも炎上は起こりづらい。それではコンテンツは面白い、あるいは賛否も生まれるようなことをするネットを中心として活動する大企業を見てみよう。確かに、彼らのサイトは刺激的だがあからさまに炎上を招くような記述はほとんどない。
さらに、彼らは万が一の炎上に対して的確ではないにせよ致命傷とはならない程度に対応をする。大企業や官公庁に対するクレームは数限りなくあるが、彼らはそれなりにそれを捌いている。


では、大企業や官公庁が出来ていることをなぜpixivが出来ないのだろうか。大企業や官公庁は非常に鈍重であると言われるし、実際にそういう側面はある。しかしながら、彼らも無為に鈍重に意思決定をしているわけではない。彼らは、コンプライアンスなどの名の下に、意思決定に年収一千万近い人間を何人も介在させ、様々な分野を経験してきた人間を意思決定に参与させている。結果、その意思決定は当たり障りの無い、場合によっては同時に箸にも棒にもかからないものになる。当然にその過程において過去の例との整合性も取るように調整されるだろう。いわゆる「前例主義」というものである。
しかしながら、pixivのような中小企業は意思決定こそ早く、結果的にユーザのニーズに即したサービスが提供できるものの、その意思決定の過程に参与する人間は少数に限られ、ユーザのニーズや、新たなニーズの開拓のために冒険をすることを余儀なくされる。また、少数者による意思決定であれば、気分や状況による原則の不徹底や制度の朝令暮改というのも避けえないだろう。個別的な業務で意思決定時間を短縮するために、そもそも上層部の意思決定を事後的に行うというような事態ですら普通に起こりえる。


つまり、意思決定の過程の違いよって、意思決定の速度や冒険の程度が変わり、それは専らその意思決定を行う主体の制度的枠組みや規模に規定されるのである。鈍重で保守的な意思決定システムは鈍重で保守的であるがゆえに炎上リスクを回避できるのである。
さらに、炎上後の意思決定にも同じことが言える。大企業や官公庁にクレームを入れれば分かるが、通常は通り一遍の謝罪や回答が得られるだろう。複雑なクレームを入れたとしても、誠実な回答はかえってくるかもしれないが、その解答は教科書的でさらにクレームをつけることが難しいものが返ってくるだろう。
なぜ彼らは当たり障りの無いクレーム対応が出来るのだろうか? それは、彼らのクレーム処理の過程における意思決定が鈍重で保守的だからである。彼らは年収一千万近い人間を何人もクレーム処理の意思決定の過程において介在させ、意思決定の根拠や様々なクレームのパターンを精査するのである。
これを中小企業、しかもフットワークの軽さを成功の助けとしたネット企業が可能なのだろうか? まず、困難だろう。結果、彼らの想定しなかったようなクレーム対応や炎上対応は支離滅裂で炎上に燃料を注ぐ結果になるのである。


間違いなく、pixivは今後も今回の件が炎上を続ける限り、ミスを繰り返し暗澹たる状況を生み出すだろう。しかし、それは彼らが愚かなのではなく、彼らの方法論が、あるいは彼らの規模や状況がそれを強いているのである。故に、この問題は起こるべくして起きたものであるのだ。